当社の創業時
- Yoshinori Sato
- 2021年2月15日
- 読了時間: 3分
更新日:2021年2月17日
私のメイン事業会社であるGREEN RIBBONは、2015年9月1日に社名を変更しており、ある意味これが本当のスタートであった訳です。
旧屋号での業務は、実兄会社の下請けであり不採算でも最低限の給料は保証されておりました。
株式を完全に取得しオーナーとなった僕には地獄の様な日々が待ち受けてました(笑)
文字通り何も無い0からのスタートで信用も実績も無く、銀行の口座を作るにも怪しまれる始末…それはもう大変なんです。
現在の役員+1名の4名でGREEN RIBBONをスタートしたのですが、記念すべきGREEN RIBBON初月の売上は今でも鮮明に覚えている
その金額は「37,000円」
でも従業員3名いるし給料払わないと!事務所の家賃も!口座の残高は数百万しかなくオーナーになって早々に「倒産」の二文字が頭をよぎりました。(笑)
何とかしないと!という訳でドラマや映画で見る様に(笑)
名刺を全てひっくり返し電話を掛けまくり、メールを山の様に打ち、会える人には会い。
異業種交流会にもとにかく参加し交友関係を構築などなど・・・ありとあらゆる手段を用いて営業した事を思い出します。
まさにプライドとか言ってられない、昔の知り合いにも「仕事ちょーだい!」って連絡する日々。
沢山の友人を無くした様な気がします(涙)
当然ながらこのままでは食えないので、2次受けの業務を探し、
僕もスーパーでタバコ販売イベントの現場に入る、自動販売機の現金回収作業したり細かい仕事で食い繋ぐ日々。
現役員のK氏なんてアプリの営業代行で北海道から九州を全国行脚…連絡取ると「今、博多でーす」なんて感じでしたので、会社の仕事というよりはアルバイトをしている集団という雰囲気でした。
そしてGREEN RIBBON 2ヵ月目の売上!「390,000円」先月比10倍だけど、少なすぎるだろ・・・この頃は本当にお金がありませんでしたね。
会社を興す事は簡単ですけど、仕事を受注し事業を運営して、従業員に給与を払う事って改めて大変なんだと痛感した訳です。
それでも、まじめに頑張れば少しづつ結果は出てくる物で
① 前職で大変お世話になった家電メーカー様の販促ご担当者様より「話聞いてもいいよ!」とのお返事(後にこの仕事は受注し大きな業務となりました)
② 元通信キャリアの友人(現当社役員)Y氏と裏で進めていた商談スタートする。
この頃は、微増ながら2次受けの仕事も増えZ氏と昼間は普通に現場勤務して、夜から朝まで提案資料をつくり営業する→駄目出しされる→また朝まで資料を作るなんて日々が続きましたので、少しは会社らしくなっていった気がします。
そして営業協力してくれた友人Y氏のナイスサポートもあり、通信キャリアの店頭イベント業務委託をGREEN RIBBONとして初受注!
ちょっと未来が開け僕らのモチベーションも急上昇しましたよね(笑)
GREEN RIBBONは、スタート4か月目でようやく売上が〇百万単位に…
このタイミングで現当社営業部長A氏と現首都圏マネージャH氏が入社してくれて、
現場で大活躍してくれました。
今思えば、なんでこの2名はウチに入社してくれたんだろう(笑)
と知人・友人・恩人のご厚意があって何とか僕ら4名+現場2名が食べられる位の売上が作れる様になった訳です。
でも運転資金が丁度底をつき、慌てて義姉にGREEN RIBBONとして初借入をしたのもこの頃でした(笑)
とにかく、記載させていただいた感じの苦しいスタートで、本当に創業当時はお金も実績も何も無く(笑)どこかで聞いたフレーズですけど、あるのは「夢」だけ…
この時期に僕を支えてくれた創業メンバーには感謝してもしきれない位(涙)
そんな役員2名 現在では共に結婚してマイカー所有。
人間頑張れば何とかなるもんですよね(笑)

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